今回は、マドリードの歴史と文化をまとめました。マニアックなテーマですが、マドリードを訪れる方、在住者の方には、必読の内容です。
大学で西洋史を専攻した私が本気でまとめたので、これを読めばマドリードを100倍楽しめること間違いないです!!
マドリードのあれこれ
マドリードは、スペインの首都で人口は約325万人。首都圏人口は679万人で、EU内ではパリに次ぐ規模になります。日本人は在住者は1,500名程度と言われています(スペイン全体で8,000人ほどで、とても少ないですね)。
地理的には、イベリア半島の中央の乾燥した高原(メセタ)に位置し、標高が700m弱となっています。地中海性気候のため、冬季に雨が多く、夏は乾燥します。夏場は最高気温が40度近くなりますが、日本と違って湿度が低いため、朝晩はとても過ごしやすいです。
交通の便もよく、市内から車で20分の位置にマドリード=バラハス空港があります。鉄道も南部にアトーチャ駅、北部にチャマルティン駅があるため、スペイン各地への移動もスムーズです。市内には地下鉄やバス、タクシーやUberが便利で、ストレスなく移動ができます。
また、世界中の観光客に人気の都市で、国連組織の世界観光機関の本部があります。
一方で、スリや置き引きはかなり多いですが、重犯罪は少なく治安が良いことで有名です(家族連れや夜間でも安心)。人々はフレンドリー、食事も美味しく、スポーツやアートも楽しむことができるので、個人的には住みたい都市ベスト3です!
マドリードの歴史
マドリードは、首都になってから450年ほどしか経っておらず、徳川家康が江戸を作ったちょっと前くらいの時期です。
*先にスペイン全体の歴史を知りたい方は、こちらから。
それでは、マドリードの歴史をさらっと見ていきましょう。
①古代〜中世
スペインはローマの支配下にあり、ヒスパニアと呼ばれていました。マドリードがはじめて歴史に出てくるのは、9世紀にムスリム王朝が小さな宮殿と要塞が建てた時です。近くを流れているマンサナーレス川は、アラビア語で「アル・マジュリート」(=水の源)と呼ばれ、そこからこの地は「マジェリト」と呼ばれるようになり、現在の「マドリード」となりました。
*現在は、この川に沿って遊歩道が整備され、絶好の散歩スポットです。この川は、リスボンを通り大西洋へ注いでいます。
マドリードはイスラム教徒の支配下にありましたが、11世紀にキリスト教徒によって再征服され、モスクは教会に建て替えられていきました。
②ルネッサンス
カスティーリャ王国(トレド)とアラゴン王国(サラゴサ)の2つの王国が、王子と王女の結婚によって連合し、16世紀にスペイン王国として一つになりました。1561年に、フェリペ2世(スペイン全盛期のときの王)が宮廷をマドリードに移したことで、事実上の首都となりました。国土の中央にある立地や、水が豊富で気候が穏やかだったことが理由です。
ちなみに、フランシスコ=ザビエルの少し後に、少年使節団が九州を訪問していますが、これはフェリペ2世の時の出来事です。また、観光地で有名なマヨール広場は、元々交通の要所で広場だったところを、フェリペ2世が刷新を命じたものです(中央の銅像は、息子のフェリペ3世)。
こうしたスペイン全盛期には、マドリードは新大陸から流入する富によって栄え、「ドンキホーテ」(舞台はマドリード南部のラマンチャ地方)で有名なセルバンテスや、画家のベラスケスなどもこの時代を生きました。
③近代
近代以降には、現在も見ることができる街並みができてきました。18世紀にはマドリード王宮が作られ、王室の土地がレティーロ公園として整備されて市民に開放されました。また、プラド美術館やその周辺の建物(植物園など)が建設されたのもこの頃です。
スペインの全盛期は長くは続きませんでした(スペインの歴史のまとめ記事参照)。スペインはフランスの支配下に入り、ナポレオンの兄であるジョゼフ・ボナパルトがスペイン王位に就きました。マドリード市民はこれに反発し、フランス軍に対して反乱を起こしましたが、鎮圧されました。この時の光景を、有名な画家ゴヤが描いたものが、「1808年5月3日」です。
先ほどの「ラスメニーナス」と合わせて、プラド美術館で見れますので、訪れてみてください。
④現代
20世紀
20世紀になっても、マドリードは産業があまり興らず、経済的に停滞していました。そんな中、1936年に始まったスペイン内戦により、マドリード市内は戦場となりました。1939年にはフランコがマドリードに入城して内戦の終結を宣言し、独裁政権が始まりました。1975年まで続くフランコの独裁時代、マドリードの南は工業化され、多くの移民が地方から流入しました。この時にマドリード南東にスラムが形成され、今も残っています。
フランコの死後、国王フアン・カルロス1世の下で民主化が一気に進み、マドリードはイベリア半島の経済的な中心としての地位を固めました。文化的には、フランコ時代の反動で、1980年代に文化・社会ムーブメント「モビーダ」がマドリードのマラサーニャ地区を中心に起こりました。当時の作家、ミュージシャン、アーティストが主人公となったこのムーブメントの名残は、今もこの地区で見ることができます。
実は、先ほどのゴヤの絵画(5月3日)で描かれた、ナポレオンの支配に対する市民の蜂起が始まったのがマラサーニャ地区であり、「5月2日広場」として今も残っています。
21世紀
2004年3月11日に、マドリード列車爆破テロ事件が起こり(アトーチャ駅)、191人が死亡、2,000人以上が負傷した大惨事となりました。最近では、2020年の夏季オリンピックで東京と開催地を争ったのも記憶に新しいです。
おわりに
マドリードは、ローマ→ムスリム→カトリックと支配者が変遷し、16世紀のスペイン全盛期の時に首都に移されました。その後、18世紀には、王宮、レティーロ公園、プラド美術館などの、現在は観光地となっている場所が建設され始めました。その後、スペイン内戦、フランコ独裁政権、その反動を経て、現代のマドリードが形作られています。
マドリードを訪れる機会があれば、歴史や文化を感じてみてはいかがでしょうか。
スペイン全体の歴史はこちら
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